1.初陣
 椋鳥玲は魔法使いである。
 およそあらゆる神秘、あらゆる奇跡が否定され、伝説の中に押し込められる近代において、御伽噺と現実の隙間をすり抜けるように生きる執行者。火を生み、水を操り、風に乗る秘蹟の使い手だ。
「聞いてない! 聞いてない! こんなの聞いていない!」
 彼女は今、逃げていた。
 スニーカーで廊下を蹴りあげる彼女に迫るのは、粘液のような質感を持った蠢く影だ。月明りだけが頼りの薄暗い世界で、それは闇に紛れるように――あるいは闇そのものの具象であるかのように昏黒の中を疾走する。もはやその速度は目で追えないほどだ。
「この程度の想魔は! 楽勝で! 祓える! ……って言ったじゃないのよ、ばかー!」
 話が違うと叫びながら、少女は歩きなれた廊下を常の十倍の速度で駆け抜ける。窓からさしこむかすかな光の中に、黒く長い髪がふわりと浮き上がり、瞬く間に過ぎ去っていった。
 闇色の影は異常というほかない速度で追いすがるが、それから逃げる少女もまた尋常ではない。幽暗を切り裂くように進む姿は、まだ十代後半か。夜に礼を尽くすような黒衣を身にまとっているものの、よく見ればそれが制服であることがわかる。黒いカラーをつけたワンピースタイプのセーラー服は、このあたりでは有名な女子高校のものだ。短めのスカートからすらりと伸びる足も黒いタイツに覆われている。スニーカーと、つつましい胸元で揺れるスカーフだけが白く、冷夜の中を場違いにゆらめいていた。
 闇色から逃げる黒色――それは世界のあらゆる時代、あらゆる場所で見られる永遠の戦いだった。人の世に生まれる想魔は、すべからく魔法使いの敵となる。彼らは魔法使いの領域を侵すからだ。
 すなわち今宵この戦いも、領域をめぐる戦闘だった。
 互いに人知を凌駕する速度で疾走するも、形に捕らわれない粘液のほうがやや勝る。それでも黒衣の魔法使いはすんでのところで追撃をかわしていた。
「速い、速いって……! 想魔ってこんなに速いの? もう、何もかも聞いてないんだけど! これ、最初に戦っていいやつ!?」
 椋鳥玲は魔法使いであり、同時に紛れもない女子高生だ。だからこそ、彼女は闇色の影から逃げ続けることができていた。そう、ここは彼女が通う学校だ。勝手知ったる地の利だけが、椋鳥玲のアドバンテージだった。
「だいたいなんで私が! 私がこんなことしなくちゃいけないのよー!」
 いらだちを口にしながら、あっという間に突き当りに辿り着くと、玲はトップスピードを維持したまま直角に曲がった。その先には階段がある。
「跳躍、二番……!」
 一瞬だけ両足を浮かせ、思い切り床を踏みつける。瞬間、全身が前に弾け飛んだ。脳髄だけを引っこ抜いて投擲されたような異様な感覚。幽体離脱のように、体を置き去りにして意識だけが先行する。スローモーションの世界の中、バランスを崩して宙を泳ぐ自分のカラダが、こちらに飛んで来るのが見えた。まるで無くした脳を探し求めているようだ。
 なんだか間抜けだ。
「じゃない! 着地――ッ!」
 ぐるん、と世界が回転する。
 次の瞬間にはもう、彼女の体は階段をあがりきった踊り場にいた。両手両足を床につき、どうにか転倒を防ぐ。一瞬、世界と自分の整合性を見失う。跳びすぎた。
「一番でじゅうぶんだった……って、来てる来てる!」
 闇色の影は彼女の混乱を待たない。ぬるぬると階段を滑りあがる影を見た少女は、あわてて踊り場を折れ曲がり、再び跳躍した。
「跳躍、今度は一番!」
 重たい空気の壁が押し迫る。意識が流されそうになるのを歯をかみしめて堪え、黒衣の少女はとうとう最上段へとたどり着いた。そこも踊り場のような空間だったが、階段にも廊下にもつづかない。その先には扉が一枚、開放厳禁の張り紙とともに余人の立ち入りを拒んでいる。
「邪魔! 貫通、三番!」
 両手をつきつける。音がしたような気がしたが、衝撃のほうがはるかに大きかった。全身を突き抜ける痺れにも似た感覚を両目をきつくつむってやりすごし――目を開けると、扉はなくなっていた。
 なくなっていた、綺麗さっぱり。
「ていうか、壁もない……」
 またやりすぎた。広すぎる出入口に嘆息して、それでも走り出す。躊躇している余裕はない。敵はすぐ後ろにいる。
「はぁっ……」
 そして、彼女はそこに辿り着いた。
 月が睥睨する四角い戦場。フェンスに四方を囲まれた、この田舎町で最も空に近い場所。手を伸ばせば夜に触れる、世界の終端。
 私立宝月女学園高等部校舎の、屋上だ。
 そこからの景色は不穏と不気味に満たされていた。なにせ暗黒、見渡す限り何も見えない完全なる夜の世界だ。宝月女学園は山の上の秘境――夜の山に明かりはない。麓にはポツポツと光めいたものも見られるが、あまりも遠すぎる。あんなにか細く遠い明かりは、空一面に瞬く星と月に隠されてしまう。
「来たなァ……」
 屋上の中央まで進んで、椋鳥玲は振り返った。吹き飛ばされた入り口から、ぬらりと闇色の粘液が覗き込む。眼前に敵を見据え、夜気を吸い込むように呼吸を整え、両腕をまっすぐに伸ばす。ここから先に逃げ道はない。
「私に触れると思うなよ――丸めて固めて汚物入れにつっこんでやる!」
 言葉の意味を理解しているのかどうか。魔法使いの挑発に乗るように、ソレは一気に屋上へと飛び出した。閉塞された暗闇から月明りのもとへ。想像を上回る速度に、しかし若い魔法使いは笑ってみせた。
 逃げながら、追われながら、誘導しながら、彼女はこの瞬間をこそ待っていたのだ。
 月と空に手が届く――ここはもう、椋鳥玲の領域だ。
「拘束!」
 足を踏み鳴らすと同時に宣言。虚空から伸びる光る帯のようなものが、一斉に想魔を縛り上げる。不定形の粘液はずるりと隙間から抜け出そうとするが、
「拘束!」
 そこを更に光帯が塞ぎ、
「拘束拘束拘束!」
 その上からもう一枚、重ねて一枚、幾重にも光が絡まっていく。瞬く間に作り上げられた光の繭は、想魔を孕んだまま中空に張り付けにされる。
「圧ッ縮――!」
 広げた掌を打ち合わせて、黒衣の少女が叫んだ。光繭が揺らぎ、蠢きながら、その身を縮めていく。もちろん、中にいる想魔ごとだ。声をもたない粘液は悲鳴もあげず、光に捕らわれたまま締め上げられていく。バスケットボールほどもあった繭はあっという間に掌に収まるほどになり、やがて小さな石ころ程度にまで凝縮された。
 夜の中に淡く光る湖水色の宝玉――あれほど醜悪な存在がその元にあったとは思えないほど、それは美しく見えた。
「……っと……」
 合わせていた掌をおそるおそる開き、軽く右手を引く。すうっ、と夜の中をすべるように、想魔を封じた宝玉が魔法使いの手の中に納まった。
「……できた……」
 ふうう、とゆっくり、本当にゆっくりと息を吐いて、椋鳥玲は肩から力を抜いた。吐息とともに緊張も吐き出されたようだった。月に宝玉をすかして、ほう、と感嘆の息を漏らす。
「綺麗……」
 そうして魔法使い椋鳥玲は、はじめて、少女らしい笑顔を見せた。
「……って、粘液ついてる! きったねえ!」

 領域を侵す想魔と、領域を守る魔法使い。世界のあらゆる時代、あらゆる場所で繰り返されてきた戦い。新人魔法使い椋鳥玲の初陣は、どうにか勝利を収めた――ように見えた。
 この時は。

2.侵食
 魔法とは。
 人の願望、希望、予測、妄想、あるいはそれらの否定――あらゆる「想念」を現実に変える秘儀である。人間が想念を抱く限り、魔法はこの世からなくならない。それが現実であれ妄想であれ、出来るという確信であれ出来ないという否定であれ、人が何かについて考えるとき、その想いはすべからく魔法の源となる。
 人が生まれたときから、やがて滅びを迎えるまで、魔法は常にそのそばにあった。
 椋鳥玲がそのことを知ったのは、つい二月ほど前――夏休み直前のことだ。
『君には才能がある』
 そう告げられたところで困惑しかない。そんな才能欲しくもないし、知ったことじゃないと言いたかったが、しかし玲に選択の余地はなかった。彼女には確かに才能があったし、才能があるのは、その時彼女だけだった。もともと学校を守っていた魔法使いが突然いなくなってしまったのだ。魔法使いがいない領域は想魔に侵食されてしまう。誰かが戦わなければならない。
 彼女は突然日常から切り離され、夏休みを丸々使って魔法使いとしての訓練を受ける羽目になり、挙句、夜の学校で得体の知れない怪物めいた何かと戦わされることになったのだった。
 想魔と呼ばれるソレが何者なのかさえ、よくわからないままに。
 ――ちなみに、彼女は依然女子高生のままである。つまり、たとえ深夜まで駆けずり回っていたとしても、翌朝には教室にいなければならない。
 玲は基本的には真面目な人間だ。なので、全体重を机に預けるみっともない姿だったとしても、きちんと登校していた。
「はぁ……」
「おはよームック、今日は妙におつかれだね」
「おはようミノピン」
 聞きなれた声に、玲は机の上につっぷしたまま、顔だけを傾けて雑に対応する。視界に入った少女は気を悪くした様子もなく、くすりと笑ってみせた。
 ストレートの長い黒髪に優しげな瞳。玲のことをムックと呼ぶ彼女は、小学校からの友人だ。蓑鳩一美――愛称ミノピン。端的に、親友といえる間柄だと玲は思っている。
 普通にしているだけでスマートな一美と違い、玲はどうやってもうねうねと癖のつく髪を三つ編みにして、さらに度のきつい眼鏡までかけている。ダサいにダサいを重ね合わせた(と玲は思っている)どうしようもない喪女だ。
「ムックはかわいいねえ」
「やめろ……頭を撫でるな……」
 くしゃり、と黒髪を撫でる手は白く、細く、繊細でたおやかだ。すらりと長い腕、やたらと綺麗な脚、引き締まったウエストに整った顔。それだけもう十分以上の美女なのに、
「ムックはかわいいかわいい」
「やめてってばもう、胸があたるんだよ!」
「ええ、あててないよ?」
「勝手にあたるんだよ、この距離だと! しぼめ!」
「むちゃ言うなあ。おっぱいは勝手にしぼんだり、ふくらんだり、しませんよ?」
「はあ……」
 ……美女なのに、加えて大ボリュームのバストまで装備している。細身、長身、巨乳、そのくせバランスは整っている。もはや神の造形である。
「ため息ばっかりついて、幸せが逃げるよー?」
「はいはい……」
 にこにこと笑う一美を見ていると、なんだか心がふわふわしてくる。これはずっと昔からそうで、彼女の笑顔に玲はずっと助けられてきた。
「でも、具合が悪いなら休むのもだいじだけどね」
「ん――」
 具合が悪い。体調が思わしくないのは事実だった。疾走、跳躍、貫通――封印を別にしても三種類の魔法を同時に使った反動だと、魔法使いの師は言った。そんなことも聞いてないと玲は反発したが、しかしこれは本当に聞いていなかっただけで、師匠はきちんと教えている。
 それでも、立って歩けるだけマシなのだという。初陣のあと七日も寝込むような例も珍しくないと聞いた。
 「速く走りたい」「高く跳びたい」といった、普遍性や現実性が高い魔法はわりと簡単で、反動も少ない。これが「空を飛びたい」になると話は変わってくる。普遍性は高いが、現実性が低すぎるのだ。
 人が想像できることは、全て魔法で実現できる――しかし、個人がすべての魔法を十全に使えるわけではない。
「ま、帰らないんだったら、授業はしっかり受けなよね」
 最後までにこにこと笑いながら、一美はポン、と玲の肩を叩いて自分の席へと向かっていった。ちょこちょこと歩く姿がやたらとかわいい。あんなに格好いいスタイルなのに、仕草が全然洗練されていないのだ。魔法使いの友人はどこもかしこもアンバランスで、なのにトータルで見るとなぜか整っているという、奇跡的なバランスで成立していた。
(あれこそ魔法みたいなもんだ……)
 だらりと机に上半身を投げ出して、玲は腕の中に顔をうずめた。ホームルームがはじまるまでには復活するだろう。全身あちこちが痛いし、おなかの中で何かがぐるぐる暴れている感覚までするが、大したことじゃない。
 想魔は領域を侵すもの――ソレが長くとどまればとどまるほど、現実は想魔によって歪められていく。彼らは基本的に、直接何かをするわけではない。人を食いもしない。攻撃もしない。ただ、周辺の領域が「悪く」なっていく。たとえば事故が起こる。争いが増える。不運が重なる。ひどい時には大災害にまで発展する。それが想魔という存在なのだと玲は教わった。直接襲い掛かられるよりタチが悪い。
 現実を侵食し、玲の身近な誰かを不幸にする。椋鳥玲が魔法使いになることを決心したのは、そのためだった。
 侵されたくなければ守り抜くしかない。戦うしかない。その力が必要だったのだ。
 簑鳩一美が、椋鳥玲の理由だった。

**

 昼頃には、体の不調はほぼ回復した。これも魔法の一種だ。ゆっくり、じわじわと浸透させる魔法は、効果に時間がかかるぶん反動が少ない。
 ただ、おなかの奥のほうで何かが蠢く不快感だけは残っていた。
「便秘のせいかな……」
 誰にも聞こえないように小声でつぶやく。今朝も音沙汰がなかった。ヨーグルトを食べるのをさぼったせいだろうか。
(想魔のせいってことは…ないよね)
 想魔が直接的に危害を加えるのは、魔法使いと戦闘になる時だけだ。戦闘が終わってしまえばカタチを保っていることすらできない。ふと、湖水色の宝玉のことを思い出す。あれは今もポケットの中に入ったままだ。綺麗な石ではあるが、由来を考えると長く持っていたいものではない。
「ムック、ごはんいこ」
「ん。ミノピンお弁当?」
「ミノピンは学食。お寝坊しちゃった」
 失敗を誤魔化すようにペロリと舌を出す一美に笑って、玲は席を立った。戦闘の翌朝に昼食を用意する時間はなかった。今日は玲も学食である。「じゃあ行こう」と促して、玲は一美と連れ立って教室を出た。
 椋鳥玲は魔法使いだ。だが、同時に女子高生でもある。彼女にとって夜の戦いと昼の日常は決して交わらないもので、切り離された異世界だった。実際にはそれは、表裏ですらない地続きの現実だというのに。
 そう、つまるところ――
「えっ」
 ――彼女は、油断したのだ。
(なん、だこれ――?)
 最初に玲を襲ったのはめまいだった。教室を出た瞬間、ぐらりと世界が傾ぐ。ちゃんと地面を踏んでいるはずなのに、足元がふわふわとおぼつかない。頭がじわりと熱を持っている。全身の血液が浮き上がっているみたいだった。ふと、跳躍の二番を思い出した。脳髄だけが先行して体を置き去りにしている感覚。
「むっく?」
 誰かの呼び声が聞こえる。目の前が見えなくなっていることに気がついたのはその瞬間だ。目は開いている、光も入ってくる。しかし正しく像を結ばないのだ。暗闇ではなく虹色。チカチカと瞬く極彩色が玲の視界を覆っている。
「むっく、だいじょぶ?」
 これ、だめだ。
 そう思っても声が出ない。立てない――立てない? 全身が固く冷たい、平べった何がに触れている。床だ。倒れているのだ。それを自覚した瞬間、極彩色の世界が一転してブラックアウトした。真っ暗だ。耳の奥でごうごうと音が鳴っている。体が動かない。いや、体がない。おぼろげな意識だけが震えていて、肉体の感覚がまるでないのだ。全身が蒸発してしまったみたいだ。
 それなのに、おなかの奥で得体の知れない何かが蠢くのだけはハッキリとわかった。リズムを取るように、定期的に、どくん、どくんと身じろぎしている。まるで鼓動だ。いや、これはまさに、鼓動そのものなのではないか。
 ことここに至って、玲はやっと理解した。これは体調不良なんかじゃない。何かが、自分の中にいるのだ。

 どくん、

 玲の思考に応えるように、ひときわ強く鼓動が鳴った。鈍痛が響き、体の中心で違和感の塊が震える。痛い。臍の下あたりで響いた痛みは、じわりと胃にまで届く。

 どくん、

 また痛みが広がる。胸元を掠めて、ふとともを這って、背骨を撫でる。浸透するような痛み。
(やばい、これ、やばい――)
 痛みが響くということは感覚があるということだ。鼓動が鳴り、体が痛むたびに失っていた感覚を取り戻していく――にも関わらず、玲は脳裏で悲鳴をあげた。痛みは大したものじゃない。問題はそれを追いかける違和感の方だ。おなかの奥で蠢いていたソレは、水面に広がる波紋のように玲の体を侵食していく。怖気をもよおすその違和と忌避に、少女の精神は耐えきれず叫んでいる。

 どくん、

 感覚は戻るのだ。肉体の実感がちゃんとある。それなのに、玲はそれを自分のモノだと思えない。痛みも違和感も腕まで到達した。冷たい床の感触もはっきりと伝わってくる。それなのに、自分の腕を動かせない。身じろぎひとつとることができない。
 理屈はわからないが、魔法使いは直感していた。この違和感。こいつが、自分のカラダを侵しているのだ。

 どくん、

 指先にまで痛みが走る。空気が喉を通り、肺をめぐる感覚。動かせないにも関わらず、カラダの感覚はいやに鮮明だった。血液の流れまで把握できそうだ。
(これ、待って、動かない、これもし、もしもこのまま――)
 もしもこのままこの違和感が進み続けたら。この違和感が、カラダ全てを覆いつくしたら。

 どくん、

 光が瞬いた。揺らめく虹色の世界は、すぐに正しく像を結んだ。見上げる天井と、心配そうにする親友の顔。手を握ってくれている。パタパタと足音が聞こえる。保険医でも呼びに行っているのだろう。その音を聞いているのは自分の耳で、その世界を見ているのは自分の目だ。それなのに、眼球も鼓膜もあの違和感で染められている。
(私の目で――)
 そいつが、自分のカラダを使っているのだ。椋鳥玲の目を盗んでいる。ぴくりと指先が動いた。動いたが、それはもはや絶望の予感でしかなった。
 玲は動かしていない。微動だにしていない。勝手に、誰かが勝手に動かしたのだ。
(待って、待って、まずい待って、待って嘘だ、まって!)
 しっかりして、と親友が言って、
 だいじょうぶだよ、と自分が応えた。

 ――どくん。

 その声と、脳髄に響く鼓動を最後に、椋鳥玲は自分自身を失った。