動画投稿サイトがインターネット上の一ジャンルとして確立してから、それなりの時間が経った。受け手と送り手の垣根がなくなり、誰もが『作り手』になれる時代――しかし、そんな中でも受け取ることしかできないやつはいるし、作り手たろうとしてうまくいかない人間も、もちろんいる。
 新垣圭太もそういう人間のひとりだった。
 圭太が日参しているサイトは動画投稿文化の先駆けともいえるところで、動画にコメントを流すことができるのが最大の特徴だ。ここで、圭太はいくつかの動画を発表した。結果は惨憺たるものだ。
(才能だよなぁ、やっぱさあ)
 今日も炭酸を流し込みながら、ランキングを上から順に眺めていく。再生数を稼ぐ動画はどれも凝っている。派手な演出、奇抜な発想、圧倒的な技量……最初こそド素人でも数字を稼げる空間だったが、プロやセミプロが作品をアップするようになってからは、やはりその手の『持っている』人間がランキング上位に並ぶようになってしまった。あるいは流行に乗るかだ――この手の文化は流行に驚くほど脆い。
 実際には、もちろんそうではない作り手もいるし、評価もされている。奇抜な発想、つまりアイディアひとつで話題になれるということは、誰にでもチャンスがあるということだ。しかし圭太は、それすらも才能の範疇だと考えている。
(オレみたいのじゃねえ)
 乾いた笑いを浮かべながら、マウスをクリック。新しい動画をぼんやりと見て、あそこがだめだ、これはつまらない、と批判する。これが圭太の日常だった。
 圭太は、今年で二十三歳になる。何もかもに危機感を持つことができずにフワフワと浮かぶように生きてきた結果、進学もせず、定職にも就かず、日夜モニターを眺める日々を送ることになった。高校を卒業してから何かをやった記憶がない。そもそも、高校時代すら何もやっていない。
(オレはどうなるんだろうな)
 ――と、思うことはある。こんなふうにだらだらと生きて、いつかでかいしっぺ返しを食らうんじゃないかと突然不安になる。そういう時、圭太は決まってインターネットに逃げた。つまりいつもと同じだ。悪い人間ではない。ただ、圭太はひたすらに怠惰だった。
(おっと……、時間だ) 
 そうしてネットを巡回すると、もう午後六時。今日この時間には大事なイベントがある。生放送だ。
 かつては編集した動画をアップロードするだけだった投稿サイトも、拡大する二ーズに従って数々の新機能を備えている。うちのひとつが生放送。カメラの向こうの映像をリアルタイムで世界に配信する機能だ。
 アニメの一挙放送やラジオの公開配信、ゲームの特別番組など企業が絡むものも多くあるが、放送枠の大半は圭太と同じ素人の行うものだ。圭太はあまり人気のない生放送をうろつくのが好きだった。こちらがコメントを送ると、リアルタイムで放送主が反応をくれる。自分が『作品』に関われているような気がして、他の動画とは違う楽しみがある。
 チェックしていた生放送のページに移動する。今日見るのは、masQという放送主による枠だ。masQは自称現役中学生で、わりとかわいい女の子。かわいいといっても顔の半分はマスクで隠れている(だからmasQ)ので、実際どうなのかはわからない。
 この子は夏休みの初めごろに放送を開始した。サイトで生放送するには有料会員にならなければいけない。大した額ではないが、本当に中学生だとしたら少額でも貴重なお小遣いから捻出していることになる。そもそも、無料のコンテンツに金を使うというのは圭太には考えられない発想だ。放送主は全員課金厨、とさげすんでいる時期すらあった。
 最初は夏休みの間だけだと言っていたmasQだったが、九月を過ぎてもこうして放送を続けている。思ったよりも反応があって嬉しかったのだろう。中学生らしい浅はかさに好感が持てる。
 放送がはじまった。
「あっ……おはようございます、masQです……今日も、マスクごしでしつれいしまーす……」
 いつものようにそう挨拶したのは、男性用の大きなマスクをかぶった少女だ。マスクには「Q」と手書きで描かれている。この文字は毎回自分で書いているらしく、映像を比べてみると微妙な違いがある。
 masQはとろんとした垂れ目と内側にカールした毛先が特徴的な、おそらくは美少女だった。少なくとも圭太は、この子はマスクを外してもかわいい、と根拠なく信じている。現役学生であることを強調するようなセーラー服も、所在なさげに手元を何度も組み替える仕草も、圭太のポイントを刺激してやまないのだ。
 UBSの小型カメラを使っているらしく、目線のやや下から見上げるような画角で部屋の中が映っている。さほど広くない、ごく普通の和室のように思えた。散らかっているようには見えないが、カメラに映らない場所に荷物を寄せているだけかもしれない。
 圭太はすぐにコメントを書き込んだ。
 ――おはよう。
「あっ、Kさん、いつもありがとうございます……えっと……」
 挨拶に返答だけして、すぐ言葉につまる。彼女はいつもこうだった。プランもない、話術もない、カメラの前で言葉に窮して右往左往するばかり。本当にただの素人の女の子なのだ。これを、わざわざお金を払って配信しているというのだから恐れ入る。
 ――今日、学校では何かあった?
 だから、助けてあげないといけない。コメントを送ると、masQはあからさまに安堵の表情を浮かべた。
「えっと、今日は、体育の授業があって……ずっと走ってました。つかれました……」
 masQの声は暗い。口元を布で覆っているせいもあるだろう。しかし、暗いわりに低くはなく、小さいわりに聞き取りやすい。すっと耳に入ってくる、優しく高い音だった。配信で重要なのは声だと、圭太は思っている。声と喋り方。これが良いだけで、印象はかなり変わる。
 ――どのくらい走ったの?
「十月に、マラソン大会があって……その練習で、七キロ走るんです。七キロですよ……うそでしょって感じ……」
 ――大変だね。普段は運動はしないの?
「しないですよぉ……ただ走るとか、ぜんぜん楽しくないし……」
 次第に緊張がとけて会話が進みだす。彼女の配信は基本これだけだ。コメントに返答。沈黙。コメントに返答。沈黙。コメントがない時はひたすら黙っている。
 だが、圭太をはじめとする数人はこれこそが良いと思っている。リアルな会話。リアルなコミュニケーションだ。現状はもちろん、学生時代ですら望めなかった女子との楽しい交流。これは、青春のやり直しなのだ。
 ほどなく、視聴者がちらほらと増えはじめる。増えるとは言っても十人に満たない程度だ。そのうちコメントするのは三人ほど。残りの七人は何が楽しくてここにいるのかと思うが、まあそういうやつもいるだろう。
 コメントが増えてもやることは一緒だ。コメントに返答、返答、返答。masQからアクションを起こすことはまずない。ある意味で徹底している。
 ――寝る前にすることってある?
「寝る前……よくないっていうけど、スマホずっと見てます……」
 ――どんなの見るの?
「どんなの……いろいろだけど、えっと……んっ……?」
 そこで、masQがピクンと肩を跳ねさせた。不思議そうに背後を振り返って、首をかしげながらカメラに向き直る。
 ――どうしたの?
「いや、なんか、触られた気がして……なんでもないっ……えっ……? あれ?」
 なんでもない――その言葉の途中で、またしてもビクリと体を震わせる。きょろきょろと周囲を見回す姿は、演技には見えない。彼女の生放送はそういう配信ではないし。
(超常現象か?)
 圭太は思わず、小さくつぶやいていた。幽霊でもいるのだろうか。
「す、すいません、なんか……えっと、なんだっけ……」
 ――寝る前のスマホ。
 ――ほんとに大丈夫?
 ――今日はもう休めば?
「い、いや……」 
 心配するコメントが一斉に流れてくるが、masQは配信をやめるつもりはなさそうだ。まあ、これは金がかかっているのだ。せっかくの配信枠、無駄にするのは惜しいのだろう。
「えっと、スマホですね。SNSとか……ゲームとかですかね……」
 ――えっちなサイトとかは?
「あっ、そういうの、中学生なんで、NGで……」
 ――ごめん。
 ごめんじゃねえよ、と圭太は憤りをこめて指をキーボードに打ちつけた。こいつは何を考えてやがるんだ。masQはそういうんじゃない。失った青春の象徴であり、癒しなのだ。極端なキャラクター化もなく、タレントじみた人気もない、隣の席の女子感を楽しむのが流儀だ。アホな質問はよそのビッチにやるべきだ。
 という気持ちを、――考えようぜ。という一文にこめて送り出す。そのコメントにmasQはほんの少し、口元を覆うマスクの裏側で微笑んで、目を伏せるだけの謝意を示した。と、圭太は受け取った。実際には彼女は俯いただけだが、行間を読むのはコミュニケーションの基本だ。
 ――ていうか、体調は大丈夫なの?
「いや、ほんとに、だいじょうぶです……まだ、時間あるんで……」
 放送枠の終了までは十分ほどだろうか。ここで終わりにしようが続けようが大差ないという気はするものの、やはり心配だ。配信を続ける少女は、時折不自然に体を揺らしては首を傾げている。
 苦しそうに胸元に手をやるに至って、圭太もいよいよ不安になってきた。実は病気なんじゃないのか? だとしたら、助けられるのは今まさにリアルタイムでつながっている自分たちだ。広大なネットの世界では、たまにそういうことがある。急病で倒れた放送主を咄嗟の機転で救ったなんて話が、事実存在するのだ。
 まさか、これは本当にそういうものなのでは?
「なんか、ふぅ……いや、でも、ふぅっ……だいじょうぶですよ……」
 息も荒く、頬も上気している。――風邪じゃない? ――寝た方がいいよ。心配するコメントが続々流れていく。それを見て、だんだんmasQ自身も不安に思ってきたのか、垂れ目が少し陰ったように見えた。
「あの、でも……んっ、ふぅ、でも……えっ?」
(え?)
 異変に気付いたのは、おそらくは全員ほぼ同時だった。つらそうに心臓を抑えていた両手が、いつの間にかセーラー服の胸元に置かれている。優しく寄せるように、ふにふにと五指が蠢いて、明らかにつつましい胸を揉んでいた。
「……えっ、なにっ、えっ……?」
 驚いたよう手を離して、masQは呆然と自分の十指を見つめた。冷たく、そのくせ妙に熱気をまとった妙な空気が画面ごしから流れてくる。
(む、むね、揉んでたよな?)
 ――どうしたの?
 ――落ち着きなよ。
「あっ、はい、えっ……あれ、はい……」
 視線をあちこちに向けて混乱しながらも、放送主はきちんとカメラに向き合った。疑惑の両手がフレームアウトする。
 ――いま、なにしてたの?
 責めるような言葉が画面を滑りぬけた。いたずらを咎められた子供のように肩を震わせて、少女は俯きがちにもごもごと言い訳を口にした。
「な、なにも……なにもっていうか、む、胸が痛くて……」
 ――痛くて?
 ――さすってたんだよ。
 ――大丈夫? 今日はもう寝るか、病院に行った方がいいよ。
 ――さすってたって感じじゃなかったけどなあ。
 ――いや、さすってたんだろ。心臓が痛かったらああなるよ。
 ――ならないよ。
 ずらずらとコメントが走り出す。しばし呆然としていた圭太は、あわててキーを叩いた。
 ――だいじょうぶ?
「あの、すいません、だいじょうぶ……です。そ、その、んっ、ふぅ……」
 恥ずかしさからか顔を赤くして、masQはかぶりを振った。なにを否定したかったのかはわからない。
「今日は、なんか……ふぅ、んっ、んんぁっ、あ、ちょ、ちょうしが……悪くて」
 カメラに向かって身を乗り出し、荒い息をついて目を伏せる姿は、確かに体調を心配させる。だが、その吐息の色も、瞳の潤みも、汗で濡れた額に張り付く髪も、画面の隅でせわしくなく揺れる肩も、なにより、
「はっ、ぁあぅ、ふぅ、ふぁっ……んんぁっ」
 何を語るでもなく繰り返される甘い声も――全てが、場の空気を蕩けさせている。
 ――なにしてるの?
「はっ……? え、ぁ……あっ!? やだっ……!」
 飛びのくようにカメラから離れて、また自分の手を見る。その表情は羞恥や焦りというよりは、もはや恐怖に近かった。
 ――えっ、なに?
 ――マジでやってたの?
 ――だから、体調が悪いって言ってるじゃん。
 ――そういうことじゃないでしょ。
 ――気にしなくていいよ、みんなやってることだから。
 ――みんなはやらんだろ。
「まって、ま……待って、ちがう、ちがくて……」
 ――まあ、視聴数は稼げるよな。
 ――BANされないようにね。
 ――わかったから、もっとやってよ。
「ちがう! ち、ちがくて……わたしなにも、なにもしてない……え、なに……?」
 助けを乞うように伸ばされた指先は震えていた。哀願するようにカメラを見つめる垂れ目からポロリと滴がこぼれる。ちがう、ちがうと繰り返して、疑惑の少女はしゃくりあげるように時折ビクビクと肩を跳ねさせる。
 これでは、まるでいじめだ。
 よってたかって中学生の女の子を嬲っている。そうとしか見えない。あまりの展開に思考停止していた圭太は、どうにか理性を総動員して指を走らせた。とにかく、なんとかしなければ。
 ――お前らやめろよ。かわいそうだろ。
 疑惑は濃いが、あくまで疑惑だ。体調が悪いのも事実のようだし、悪い偶然が重なったのだ。そう圭太は信じていたが、この空気をどうにかする方法は思いつかない。とにかく感情論に訴えて誤魔化すような力業しか圭太にとれる手段はなかった。
 ――もう今日は休みなよ。次の配信たのしみにしてるから。
 masQのこともフォローする。これで終わってほしくない。また会いたい。また話したい。彼女とのコミュニケーションは、圭太にとって大事な時間なのだ。
「Kさん……」
 震える声が救われたようにそうつぶやき、瞳がかすかに細められるのと、
 ――ゆびぬれてる。
 その瞳を真一文字に切り裂いて、白い文字が流れるのが同時だった。
 濡れてる。
 カメラに向かって伸ばされた右手の指は、蛍光灯の光をぬらりと反射していた。人差し指と中指の間を、透明な糸が伝っている。
(………)
 圭太の、キーを打つ手が止まった。
(いや、だから、あれは……)
 必死に言い訳を考えようとしても、空転する頭が軋み音をあげるだけ、ぐらぐらと目の前が揺れている。これはなんだ? なんなんだ?
「ち、ちがうの……これは、これは……」
 画面の少女は、何かに怯えるように、濡れた手を隠して口元まで引き寄せた。だがもう遅い。流れるコメントは彼女を断罪するように――

 ――はむっ

 ――コメントの流れが止まった。
「ひがう、ひがうんでひゅ……わたし、んむっ、わらひ……」
 舌がまわっていない。当然だ。なにせ、指をくわえながら喋っているのだから。
 ちゅぱちゅぱと粘性の異なるふたつの液体を混ぜ合わせながら、masQは二本の指に吸いついている。手首をいやらしくひねりながら、指先は口のすみずみを、舌は指をあますところなく味わうように。
「んふっ、ん、ふう、んちゅっ、ちゅむっ……」
 あまった左手が、するするとセーラー服の内側にもぐりこみ、生地を押し上げて蠢動しはじめた。体をくねらせ、頭を振り、指を前後させながら、トレードマークのマスクの向こうでくぐもった声をあげる。書かれた「Q」の文字が、染み出した涎でジワリと滲んでいるように見えた。
 ――エロい。
 誰かがそうコメントした。
「ふぇろ……は……ふぁあっ!?」
 やっと指を引き抜く。ちゅぽっと妙にいやらしい音が鳴って、指先からドロリと唾液が零れ落ちた。ぐちゃぐちゃに濡れた二本の指が、さっきまでよりもはるかに淫靡に照らされている。
「なんで……なんで……? ちが、はっ、ちがうの、ちがうのぉ、これ、んっ、これわたしじゃ、んんっ、わたしじゃ……」
 ちがう、ちがうと連呼するも、説得力はない。当然だ。彼女はどろどろになった指こそ画面の外に押し出したが、左手は未だにセーラー服の内側で躍動しているのだから。
「はぁ、ふ、んんっ、んぁ、んぁあっ、」
 画面の外にいる右手も何をしているのかわかったものじゃない。現に右腕はせわしくなく揺れているのが見える。
(なんだこれ……)
 もはや疑惑ではなくなった。怯えがちな現役中学生がおずおずと語ることだけが主体の生放送は、ペナルティぎりぎりのオナニーライブになったのだ。
 ――がっかり。
 ――いや、むしろ歓迎。もっとやれ。
 ――通報しまーす。
 ――おいバカやめろ。
「つうほっ、はっ、ふぁあっ、つうほうやぁ、やぁだ……BANや、やぁっ、ふぅ、やだだぁ……」
 気が付けば、マイクがくちゅくちゅという音を拾っている。彼女の見えない右手が何を貪っているのか、もはや明白だ。どろどろに蕩けた顔で、masQはやだやだと繰り返す。否定の言葉でありながら、それは何かを懇願しているように聞こえた。
「あっ、ぁああっ、あっ、ぁっ、ふぁあっ、ぁああ……ッ!」
 カラダを前に折って、ビクリ、ビクリと震える。画面に黒い頭だけが映し出される――しかし、さすがに何度も配信している放送主だ、カメラの存在を思い出したようにあわてて上半身を起こした。
「――ごめん、見えなくなっちゃったね」
 目元だけでにっこりと笑って、masQはそう言った。
 はきはきとしたよく通る声だ。優しく高く、張りがあって自信に満ちている。淫靡にとろける甘い響きが加わって、聞くだけで股間が勃つような声だった。
「ちゃんと見ててねぇ」
 ――どうした?
 ――こんな子じゃなかった。
「こんな子だったんだぁ、ほんとは。ごめんねぇ」
 口元は隠れていても、にやにやと笑っているだろうことがわかる。それほどにいやらしい表情だった。さいかいしまーすと軽い口調で言って、もぞもぞと手を動かす。
「あっ、んんぁっ、ぁあああうっ! ふぅあぁあ……」
 身をくねらせ、反り返り、喘ぎ声をあげて震える。
(これ、本当にmasQなのか?)
 圭太にももうわからなかった。信じていたのに、彼女自身の言葉で裏切られてしまったのだ。画面の中の少女は一度下がったにボルテージをすぐに回復させていく。これは世界につながっている。視聴者は少ないが、それでもだ。
 淫乱としか言いようがないではないか。
 何度も何度も体を跳ねさせながら、少女はモニターの中で踊り狂った。隠しようもない嬌声とそれに混じる淫水の撹拌音。マスクの下からぼたぼたと涎がこぼれて、セーラー服を汚していく。
「ふ……ぅあぁっ……!」
 そのカラダが、文字通り飛び上がった。どこかが机にあたったのか、画面が大きく揺れる。何かが倒れる音、一瞬のノイズ。途切れない嬌声。映像が回復すると、
 ――ピンクだ。
 薄桃色の布地が現れた。その中では、激しく何かが蠢いている。ぐじゅぐじゅという音がさっきよりも強く響いて、それに合わせるように布地の隙間から透明な液体がこぼれていく。
 ――パンツだ。
 ――ピンクパンツ。
 ――めっちゃやってんじゃん。
 ――はい、BAN確定。
 指の動きは止まらない。この体勢ではコメントも見えていないだろう。
「ぁっ、ぁあぁっ……、んぁっ、ああぁあっ、ふぁああああっ!」
 もう片方の手が不意に現れた。胸を揉んでいたはずの左手だ。それはずるりと下着の中に入り込み、躍動する右手のやや上に指を這わせて、勢いよくこすりだした。
「ふぁっ――!」
 ビクリ、と尻が一瞬浮き上がる。後ろまで愛液でぐちゃぐちゃになった下着は肌にぴったりと張り付いて、彼女の形を浮き彫りにしていた。肛門の皺まで数えられそうだ。
「あっ、ぁあああっ! あぁっ、ぁっ、んぁああぁああっ!」
 そのまま、ビクビクと尻を、痙攣じみた動きで上下させて、masQは悲鳴にも似た声をあげた。これまでのどの瞬間よりも高く、大きく、甘く、いやらしい叫び。
「ふぁああっ、あっ、ぁっ、ぁあっ、んぁっ、ぁっ、うぁあ――」
 自分のカラダを掻き回すように激しく、膝を打ちあわせ、ふとももをすりあわせ、何かをこらえるようにしながらもその先を求めて掌が暴れる。
「きもちっ、きもちいい……っ、オナニーほうそう、きもちいいよぉっ」
 自分自身による淫虐にとうとう屈するように、少女はそう叫んだ。大きく股を開き、見せつけるように両手を蠢かす。激しい動きは下着を歪ませ、奥の肌がかすかに覗く。
「見て、みてっ、もっとみて、ちゅうがくせいのっ、きゅうこのオナニーっ、ちゃんとみて!」
 淫音が跳ね、嬌声が踊り、媚肉が震える。彼女の痴態を見逃すまいとするかのように、コメントの白い文字はすっかりなくなっていたが、
 ――きゅうこ?
 その疑問だけは当然のように画面をかすめた。
「きゅうこのっ、えっちなきゅうこのことみて! きゅうこ本当はっ、ほんとはえっちなのっ、ずっとこうしたかったのっ! みてっ、みてっ、ぁっ、ぁああっ、ふぁあああっ!」
 それがこの少女の本名なのだと誰もが気づいただろう。淫らに喘ぎながら、少女はわずかに腰を浮かせ、邪魔だといわんばかりに下着をずり下ろした。
 毛の一本も生えていないつるりとした丘は、ドロドロに濡れそぼっていた。膣内に潜り込んだ右手が激しく振動し、既に皮から抜け出たクリトリスを左手がつまんでこすりあげている。
「見て、みてっ、あぁ、ぁあぁあああぁっ、だめ、だめだめだめ……っ! あぁああっ」
 手首がカメラを向くほど深く右手を差し入れ、つぶれてしまったのではないかと思うほど強くクリトリスを捻り上げ、快楽の中心を押しかためるように、媚肉を挟んで両手を打ちつける。
 ぐぢゅっ――ぢゅぶッ!
 何かが本当につぶれるような音がした。
「ぁ――ッ」
 画面に映し出された全身がビクリと浮き上がる。呼吸が止まるような一瞬の空白ののちに、

「――んぁっ、ぁぁあぁあっ、イくっ、イっちゃうっ、きゅうこイっちゃうっ、ぁああぁああっ、んぁあぁあぁああぁあ――――ッ!!」

 全身をこわばらせて、少女は絶頂した。
 掌の間から淫液が飛び散り、画面に滴が跳ねる。二度ほどビクビクと痙攣して、くたりと弛緩した指先が陰部から抜け落ちる。
「ぁ、ぁあ、ふぁあ……」
 ぴしゃっ、
 先とは違う液体が、おずおずと漏れだした。ほのかに黄色いそれは、弧を描いてびしゃびしゃと画面を汚していく。
「ぁあ、こわれちゃう……」
 あわてたように白い布のような何かでカメラがぬぐわれる。それがなんなのか、
「えへ、」
 画面に現れた放送主を見て、誰もが一瞬で理解した。
 ハンドルネームの由来でもあり、彼女のトレードマークでもある、Qの文字が書かれた大きなマスク。それで、カメラを拭いたのだ。
 惜しげもなく素顔をさらし、『きゅうこ』はとろけた笑顔を浮かべてみせた。とても中学生とは思えない淫靡な表情。ピンク色の小さな舌がチロリと伸びて、口元の涎を舐めとった。
 そうして、
「ンふ。おにーちゃんたち気持ちよくなれた? きゅうこのオナニー配信、またみてねぇ」
 masQの生放送は無事に配信終了時間を迎えた。
 画面が何も映さくなる。音が何も聞こえなくなる。
 世界にひとり、取り残される。

「あ……」

 圭太は。
 やっと自分を取り戻したように、ふらふらと右手を伸ばした。マウスに触れようとして、直前で動きを止める。かわりに左で操作し、ウインドウを閉じた。
 右手は使えない。彼自身の精液でどろどろに汚れていたからだ。
「ああ……」
 ――masQの生放送は新垣圭太にとって救いだった。
 青春を放棄し、触れ合いを拒絶し、それらすべてに置いて行かれ、人生に失敗した圭太にとって、masQとの会話は置いていたものを拾い直す、いわばやり直しの機会だった。
 女性放送主を卑猥な目で見る層はもちろんいる。それに応えようとする放送主もいる。だがmasQはそうではなかったし、自分も違った。そのはずだった。
「ああ――」
 なぜこんなことになったのだろう。
 前回までは普通だったのに。今回だって最初はいつも通りだったのに。途中から、まるで人が変わったようになってしまった。BANこそされなかったが、この件は確実に通報されるだろう。アカウントは凍結だ。masQの今後の活動は絶望的だった。
 だがそれを責める資格も、嘆く資格も、圭太にはない。
「――ああ」
 白濁した液体が掌をすべりおち、欲望を出し切って萎れた彼自身をべたりと汚すのを見て、圭太はやっと理解した。
 自分の中から青春が、永遠に失われたのだということを。

おわり 
 


※この作品はリクエストボックスのリクエストを元に執筆されました。