篠山園子が女性専用車両を使うのは、純粋に痴漢に遭うのが嫌だからだ。
 よくある自意識過剰や、通勤時に激空きだからとかいう配慮の根本を履き違えた道理知らずとは違う。なにせ園子は、五日あれば三日は痴漢に遭うという被虐体質である。痴漢「かもしれない」まで含めれれば、五日のうち五日間は被害に遭う。
 誰に話しても、しょうがないよねと言われてしまう。そんなバカな話があるものか、痴漢は犯罪だ、私は被害者だと訴えてみても、そのたびに激しく揺れる冗談みたいなサイズの胸を示されてしまえば、園子も黙らざるを得ない。
「はぁ……」
 ため息は車両の揺れに呑み込まれて消えていく。ガタンゴトン。規則的な揺れに従って、園子の大きすぎる胸もたゆんたゆんと揺れていた。
 篠山園子は、巨乳である。
 それも並大抵の巨乳ではない。そのへんのグラビアアイドルより遥かに大きい。掌からこぼれるどころか、両手でだって抱えられない。高校生の時分にして、バスケットボールより大きいと言われたほどだ。恥ずかしくて採寸するのが嫌なくらいなのだが、園子のサイズに合うブラジャーなんて市販品には存在しない。採寸か、ノーブラか。地獄の二択だ。
 それこそ小学生の頃から、園子は胸を無遠慮に触られてきた。掌で、肘で、物で、あるいは言葉で。胸が大きいのは自分のせいではないと言いたかったが、園子にとってはそれも難しい。彼女は自分の意見を強く通すのが苦手だった。だからこそ痴漢にも狙われるのだ。
 この人痴漢です――そんなふうに言えたならよかったのだろうが。
「はぁ……」
 電車通勤をやめたいくらいだったが、それも難しい。園子は免許を持っていない。教習所に通ったこともあったが、シートベルトを締めるとどうしても教官の目が胸に行く。こっちが全然集中できない。
 出した答えが女性専用車両だ。ラッシュの時間帯には、専用といえどそれなりに混む。それでも扉一枚隔てた向こうよりは遥かにマシだ。密着するというほどひどくもないし、なにより女ばかりの空間、園子の巨乳に迷惑そうな顔こそすれ、指を伸ばしてきたりはしない――
「はぁ……んッ……」
 ――はずだったのだ。
「んっ、やめ……やめて……ください……!」
 声の内側に涙をためて、園子は悲鳴じみた抗議を繰り返していた。悲鳴といっても自分にすら聞こえないほど小さなかすれ声で、これでは相手に認識さえされていないだろう。事実、園子の豊満すぎる胸に触れる両手はまるで離れる気配がない。
(なんで……女性専用車両なのに!)
 痴漢。痴漢だった。それとも痴女というべきなのだろうか。仕事に向かう通勤ラッシュ、すし詰めとは言わないまでもそれなりに人のいる車内で、園子はシャツを押し上げる胸をやわやわと揉みしだかれていた。
(やだ……!)
 かつて男性の、不躾な性欲のはけ口にされた時に比べれば、心理的にはまだマシだったかもしれない。しかしいかんせん衝撃が強すぎた。安全だと思っていた場所で、自分と同じ立場だったはずの女性に嬲られるという裏切りは、園子の脆い心をズタズタに切り裂いた。
 人の波に押されて、車両の隅に追いやられてしまったことが悔やまれた。まだ中央付近なら乗客の目もあっただろう。開く扉の前なら逃げることもできたかもしれない。だが連結部近くの角に押し付けられ、震えて縮こまる園子のことは誰も見ていない。車両の端だから実際には扉は遠くない。だが、園子は知っている。こちら側の扉はしばらく開かない。
「やめて……ッ」
 都内のデザイン事務所で働く園子は、スーツを着たことがない。なるべく抑えた色合いのシャツに、セックスアピールの抑制を目指したパンツルック。その上からジャケットというのが今日の服装だ。全体に肉付きが良く、女性的な丸みを帯びた園子にはまるで似合っていないが、フェミニンな恰好をすると痴漢に狙われやすくなる。男性的なイメージを与えるのが、園子にとって第一の自己防衛だった。
 もっとも、それは失敗している。その程度のことでは、園子の巨大な双乳は自己主張をやめないのだ。肩幅も丈もあっているのに、胸のせいでサイズ違いになってしまうシャツはパツパツに引っ張られて、その規格外のボリュームを喧伝してしまっている。そもそも、ことさらに男性的な服装を選ぶことで、かえって倒錯的な魅力を際立たせているとさえ言えた。
 そのバストはもとより、ぷりっと丸いヒップ、パンツの上からでもむっちりとした肉感がわかるふともも、そのくせきゅっと引き締まったウエスト、果てはふっくらとした唇に至るまで、篠山園子はあまりにも女としての魅力に満ちていた。
 彼女自身にはそんなこともわからない。
 ただ、暴力的な性攻撃から逃げ込んだ先で、更なる被虐に見舞われたという、悪夢のような現実だけが明瞭だった。
「あ、んん……」
 最初はやさしく撫でるだけだった両手も、次第に遠慮がなくなってきた。掌の上に柔肉を乗せるようにして、その重量感を愉しむように上下させる。下着はちゃんとつけている。オーダーメイドで採寸して、サイズも合っている。にも関わらず、園子の乳房は固定されてくれない。
(はやく、はやくおわって……)
 黙って耐えて終わりにしてくれる痴漢などいない。反抗しないと知られればエスカレートするだけだ。わかっているのに、園子はどうしても行動に移すことができない。挙句の果てに、彼女は未だにつり革をつかんでいた。脇を締めようとしてもその隙間には既に手が入り込んでいるのだ。せめてつり革を離して両手の動きを自由にすべきなのに、それすらできない。
「はぅ……あっ!?」
 思わずあげた声に、車内の視線が集中する。園子が逃れられるとすれば間違いなくこのタイミングだったが、注目されたことそのものに加え、同性に嬲られるという痴態が発覚することを恐れた彼女はあわてて俯いてしまった。注目は一瞬のことで、すぐに乗客の視線は散らばってしまう。警戒して動きを止めていた痴漢の手も、何事もなかったかのようにワサワサと玩弄を再開した。
(なんで……ブラ……!)
 つり革をつかむ手がカタカタと震える。声をあげてしまった理由は簡単だ。胸の谷間に手を回した痴漢は、シャツ越しにブラジャーのフロントホックを外してしまったのだ。パツン、と何かが弾ける音を聞いた気がした。既に凶器じみた圧力を持っていた園子の柔乳がその瞬間ひとまわりも膨れ上がった。
 たゆん、と大きく縦に震えて、ぼろん、と前にまろびでる。パンツに押し込められたシャツの裾が、乳圧に負けてズルズルと引きずり出される。拘束具から解放されたソレは横にも広がった。カラダの幅よりも乳の幅の方が明らかに大きく、脇から文字通りこぼれ出している。
 つり革を握りしめて、園子はとうとう涙をこぼした。逃げだせばいいのだ。手を振り払って逃げ出せば。しかしどこへ行けばいいというのだろう。扉の向こうには別の車両があるが、そこはここ以上のすし詰めで、しかも男しかいないのだ。女性専用車両の隣なんて、本当に、掛け値なしに男しかない。そんなところに、着乱れた、下着をつけない女性が走り込んで、無事でいられるとは思えなかった。
「も、もう、許してください……」
 こんなことを言っても、痴漢は止まらない。余計に興奮するだけだ。
 しかし、意外にも園子を嬲る両手は乳から一旦手を放した。思わず安堵の息が漏れそうになり、
「ひっ!?」
 園子は、自らそれを呑み込んだ。
 柔乳を鷲掴みにしていた痴漢は放した手をそのままシャツの合わせにひっかけて、思い切り引きちぎったのだ。ブチブチ、と破滅的な音がしてボタンが飛び散る。
(うそ、なんで……!)
 最後の抑圧を失って、園子の豊乳はとうとう外界へと飛び出た。空気をはじく感触。変な音がしなかっただろうかと不安になるほどの勢いだった。
 自重でかすかに垂れるも形を保つしずく型の美乳は、突然の解放に戸惑うように揺れている。電車の微細な振動に敏感に反応する柔丘の頂点には、ピンク色の乳輪が所在なさげに佇んでいた。それもそのはずだ。園子の乳輪には、あるべき主人がいなかった。中央がくぼんで、彼女の秘芯は柔らかな媚乳の中に沈み込んでいる。
 乳首が陥没してることは、園子にとってコンプレックスの頂点だった。大きくぶざまで、かわいらしさのかけらもない。それを他人に好き勝手に弄ばれて、泣く以外にどうすればいいのかわからない。
「うう……うっ……」
 そのまま口を開いたシャツの中に手をつっこみ、痴漢は直接、園子の胸を揉み始めた。どうして今日に限ってフロントホックを選んだのかと、園子は絶望的な気分になった。
 むにゅっ、とひと揉みで乳の形が変形する。他人の手が自分の胸の中に埋まるのを見るのは、園子にしてすらこれがはじめてだった。肌を直接触られたことがないではないが、まさか電車の中でシャツをはぎ取られるだなんて誰が思うだろう。
「やっ……うぅ」
 この時点で、園子は本当に逃げられなくなった。走ったりしようものなら間違いなく胸をさらけ出すことになる。降車時の混雑に紛れて、無理やりにでも服を整えるしかない。
 もともと極小でしかなかった逃亡の可能性がついえたことで、痴漢はより大胆に園子をまさぐった。胸をこね回すように両手を蠢かせ、車内の熱気に怯える乳輪を撫でる。きゅっとつねられると、園子は唇を噛んで声を殺した。
(やだ……やだ……)
 痴漢を働く十本の淫指は、細く、長く、綺麗に爪を揃えていた。間違いなく女性の手だ。涙で歪む視界の中で、その手が園子のコンプレックスをいいように弄んでいる。気持ちよくなんてない。快楽じみたものなんて感じない。長く痴漢に怯えている園子は、これまでただの一度も悦んだことがなかった。
 気持ち悪いだけだ。――そのはずだ。
「ふぅ、……うう」
 女の指愛撫は次第に優しく、丁寧になっていった。自分の体温を刷り込むような動きは、園子にとって未知のものだ。電車の中で男への恐怖と忌避を高められた園子は処女だった。恋の経験すらない。
 余った脂肪と一緒に快楽まで集めるように、脇から中央に向かって手が這い寄る。形を変える乳房はそのたびにプルプルと震えて、園子の羞恥がいやましていく。感触を確かめるように指を沈めながら、爪の先が乳首を探るように乳輪の中央をまさぐった。
「ふぅっ……」
 くにくにと陥没穴をほじくる指先が、ひきこもる乳首に触れる。細かく指を震わせながら執拗に刺激される感覚に、園子は足元が浮き上がるような錯覚に見舞われた。
「んっ……んぅっ」
 唇の中で呑み込んだ声が、いやになまめかしく脳裏に響く。ぞくりと背筋が震えた。これではまるで、感じているみたいだ。
(ち、ちがう、違う)
 そんなはずはない。絶対に違う。そうは思っても、陥没乳首に異様な執着をみせる指先が胸を掘るたびに、柔乳の中心が熱くなる。ともった種火を一度意識してしまえば、いやがおうにもそれを感じてしまう。
「んっ、んんぅ、ぁぅ……!」
 声が漏れてしまう。外に響いてしまう。同性にみっともない胸を嬲られて、感じているあさましい姿を見られてしまう。その恐怖と羞恥が、ますます胸元の炎を昂らせる。口元からこぼれる吐息の熱に、目の前がかすむような気がした。
(ちがう、ちがうの、こんなの違う、ちがう――)
 もどかしげに腰をゆすると、ぷるんと美巨乳が震える。染みひとつない肌の上を、珠の汗が伝っていく。胸の熱は強く大きく育ち、気づけば半裸の上半身のみならず、首から上までもを炙っている。無意識に膝をすり合わせる。ふとももにはさまれた股間が、くちゅっと音を立てた。
(えっ――)
 濡れている。
 ぐらりと視界が揺れた。濡れている。篠山園子の秘部は、狼藉者の陵辱に屈して、はしたなく涎を垂らしているのだ。信じられなかった。とうとう、自分のカラダにまで裏切られたのだ。
「ああ、ぁ……ふぁっ、ぁあっ」
 その瞬間、園子の防壁は決壊した。自分自身が「気持ちいい」と認めてしまった。腰を引き、胸を突き出し、吐息をこぼして、痴漢の掌を懇願するような姿勢をとる。気持ちいい。気持ちいいのだ。誰かに触られて快感を得るなんて、あるとは思わなかった。
「あっ、ん、んぁあっ、ふぁあ……」
 嫌悪はある。それはもちろんだ。だが快楽も同時にあるのだ。揺れる淫乳の中でくすぶる悦楽の炎は、既に全身を焼いていた。
「あはっ、」
 場違いに明るい声が耳に障る。思わず、園子は振り向いてしまった。
「うん、気に入った」
 背後にいたのは、少女だった。
 確実に園子より若い。なんせセーラー服を着ているのだ。にこにこと笑顔を浮かべた彼女は、乳穴に思い切り指を突き込むと、一気に引き抜いた。
「んっ、ぁあぁあっ!」
 瞬間、今まで経験のない感覚が胸の先端で弾けた。快感はもとより、一種の清涼感や解放感にも似た何か。見れば、揺れる丘陵の先で、誇るように桜色の突起が屹立していた。
「ふぁ……」
 園子の究極のコンプレックスが、殻を破って勃っていた。車内の熱気が乳首に触れる新鮮な感覚。間違いなく最悪の状況なのに、園子は感動すらしていた。
「ぁあ……」
 二本の指が、現れた先端を祝福するようにつまんだ。視線を送る。園子を陵辱する少女は、場違いに優しく、にっこりと微笑んだ。
「お前は合格だ」
 言葉の意味はわからなかった。
 だが、勢いよく捻られた指先が敏感な先端を握りつぶしたことはわかった。
「んぃっ……んんぁあああぁあっ!」
 頭の後ろの方で、何か得体の知れないものが爆発した。一瞬視界が飛ぶ。朦朧とする意識の中、かろうじて自分が達したのだと理解する。
「あ……」
 がたん、とひと際大きく揺れて電車が止まる。いつの間にか駅についていたのだ。扉が開く。常ならば我先にと降りる乗客たちの動きが、しかし不思議と鈍重だ。
「え?」
 無理もない。
 彼女らは、みな園子を見ていた。
 電車の中で、大きすぎる胸を曝け出して、頬を上気させて喘ぐ園子を、軽蔑するように見ていた。
「あ……」
 全身を焼いていた熱が一斉に消える。その落差は園子の体温を奪い、一瞬で精神を冷却した。
「いや……!」
 両手で胸を抱き、ボタンを失ったシャツを掻き抱いて走り出す。背後からいくつか声が聞こえたが、全て無視した。
(ひどい、ひどい! どうしてこんな……!)
 走りながら、園子はぼろぼろ涙をこぼした。いくら両手で隠しても、園子の胸はそれでおさまるほど大人しくない。隙間からこぼれた肉は走れば走るほどたぷたぷと揺れて、混雑する駅で客の視線を集めてしまう。ざわめきたつ声を背に、園子は嗚咽を必死にこらえて女子トイレに駆け込んだ。
「うっ……うぅっ……」
 個室に飛び込んで鍵をかけると、シャツをパンツに押し込んで、ジャケットの前を合わせる。いかにも不格好だったが、どうにか体裁はつくろえた。だが、それがなんだというのか。あれほど多くの人間の前で、はっきりと痴態を晒してしまった。もう二度とこの駅は使えない。いや、外を歩くことさえできない。
 便座を前に顔を覆って、園子はすすり泣いた。あまりにひどい。あまりに理不尽だ。園子は気弱で行動力に欠けてはいたが、しかしただ胸が大きかっただけだ。それだけでこんなことになるなんて。
「こんなカラダ、もういやだぁ……」
 ぐずぐずと洟をすすりながら、園子は自分のカラダを抱いた。寒気がする。全身が震えている。だが驚いたことに、快感の疼きのようなものは未だに園子の胸の中でくすぶっていた。
「……うぅ」
 それが何より恐ろしい。もう無理。もう無理だ。今日はもう家に帰ろう。シャワーを浴びて寝てしまおう。シャツも破けている。仕事なんてできっこない。
 三度ほど深呼吸をして、園子は個室の扉を開けた。誰もいませんように。駅は多くの人間が利用するが、目的地にはなりえない。園子を見た乗客のほとんどは、もうここを離れているはずだ。
 扉を開けると、
「やっほー」
 セーラー服の少女が笑顔を浮かべていた。
「えっ……」
 思考がフリーズする。誰かがいること自体が予想外なのだ。そのうえ、この事態を招いた元凶が立っているだなんて、完全に園子の処理能力を超えている。
「うんうん、やっぱりいいカラダだね」
 にこにこと笑いながら、少女は園子のカラダを突き押した。あっさりとバランスを崩した園子は便座に腰を落としてしまう。その隙に、少女は個室に入り込むと扉を閉めて鍵をかけた。
「合格だ、乳でか女。お前は十四番目の栄光に選ばれた」
「なに……?」
 意味がわからない。改めて見ても、少女は若かった。いっそ幼いと表現してもいいほどだ。園子はさほど背が高いというわけではないが、少女とは頭ひとつ分差がある。かすかに茶色がかった髪は肩口を超える長さで揃えられていて、大きなくりくりとした純真そうな目がこちらをまっすぐに見つめている。
 こんな子が、痴漢を働いているなんて信じられない。
「戸惑わなくていい。お前には法悦を約束する」
 わけのわからないことを言いながら、少女が手を伸ばす。陵辱の気配に怯えた園子だったが、意に反して少女は軽く額を突いただけだった。デコピンにも似た、かすかな接触だ。
「……?」
 それだけで、少女は満足げにうなずいた。わけがわからない――だが、本当にわからなくなるのはこれからだった。
 突然、少女は胸元に手をかけるとセーラー服を脱ぎだしたのだ。
「ちょ、ちょっと!?」
「ん? うん、気にしないでいい。必要なことなんだ」
 気にするなというのは無理だ。あまりにも多くのことが起こりすぎて、園子にはもうどうすればいいのかわからない。混乱ばかりが加速して、思考の回転速度はずっと低迷している。
 ブラウスを脱ぎ、プリーツスカートを脱ぎ、下着さえ脱ぎ捨てて少女がソックスとローファーだけのいやに淫靡な姿になったころ、
「――っ?」
 園子のカラダに異変が起きた。
 突かれた額がじわじわと熱を持ち、それが全身に広がっていく。体ぜんぶがぼうっとして、意識がふわふわと浮き上がっている。何か大事なものが端から抜け落ちていくような気がしたが、それがなんなのかわからない。
(なに……なんか……)
 高熱を出したとき、カラダの末端が失われたような、妙な喪失感を覚えることがある。感覚が曖昧になり、神経が溶けだしたような錯覚。今の違和感はそれに限りなく近い。園子は自分のカラダがあることを確かめようと、視線を下に向けた。大きすぎる胸が邪魔をするが、四肢はちゃんと――
「……えっ」
 ――なかった。
 園子の視界の端で、ぺらりとパンツが垂れている。まるで中に何も入っていないみたいに、支えを失ってへたれている。震える指でさすると、あるべき腿の感触はなく、掌はパンツの生地ごしに硬い便座に触れてしまう。
「えっ?」
 強烈な違和感に吐き気がする。それは足がなくなったことへの違和感ではない。足はある。あるのだ。掌は腿に触れなかったが、腿は掌に触れられた。
「ははは」
 少女が笑う。彼女が何かしたのだ。抗議の声をあげようとして、
「ひゃあっ!?」
 しかし、実際に出たのは悲鳴だった。
 カラダが突如支えを失った。あわてて両手で便座をつかむ。どうにか滑り落ちることは免れたが、混乱はますます加速する。
 尻だ。
 園子の下半身は完全に失われていた。包むものをなくしたパンツが所在なさげに佇むばかり。だというのに、確かに園子は丸い臀部の裏側に便座の冷たさを感じている。目がおかしくなったとしか思えないが、手で触れてみてもそこにはないのだ。
 困惑する園子に構わず、少女の手が伸びる。二本の手がずるりとパンツを引きずり下ろした。下着もまとめて抜き取られる――そこには、
「……え……え? え? なに、なにこれ……?」
 そこには――そこにあったものは、園子の知識のどんな存在にも合致しない、完全な異常だった。
 見えたのは肌色。臍あたりまでは胸で隠れているが、その下はかろうじて見てとれる。手入れの甘い繁みに、肉付きの良いふともも。膝。ふくらはぎ。踵。あたりまえの下半身。だが、決定的に足りないものがあった。
 厚みだ。
 大事な何かが抜け落ちたと思った。それは厚みだったのだ。腰から下がペラペラの布きれのように垂れ下がっている。まるで中身をまるごと引き抜いた後の抜け殻だ。そのくせ、感覚だけは全て正常なのだ。
 これを異常と言わないのならば、正常の意味すら見失う。
「こ、れ、これなに。なに?」
「皮だよ」
「か……?」
「皮だよ」
 にたりと笑って少女が言う。皮。皮? 言われてみれば確かに、肉と骨をすべて無くせば、こんなふうに皮だけが残るのかもしれない。しかし、それはなんの説明にもなっていないし、納得もできない。見えるだけでも園子の脚には血管が通っていたし、そもそも傷もつけずに皮だけ残すなんてできるはずがない。
「あ……」
 ずるり、とカラダが落ちる。下半身だけではない。それは臍から上にも及んでいた。変わっていく。中身のないペラペラの皮になっていく。心臓が早鐘を打つ。吐き気が強くなる。変化は胃に及んでいた。今、腸や胃はどうなっているのだろう。手をあてて確かめようとして、それすら失ったことに気がつく。
 少女の手が園子をすくいあげた。気に入った服が自分に合うか確かめるように、肩を持って向き合う。ぷらん、と胸から下が揺れる。邪魔っ気なジャケットとシャツは、面倒そうに取り払われてしまった。
 裸になった園子は、自分自身がもう首から上しか残っていないことを知った。心臓は未だドクドクと騒がしく脈打っているのに、傍から見ればそれすら存在しないのだ。このまま浸蝕が進んだらどうなるのだろう。
(私、私……死ぬの?)
 パクパクと口を動かして、喋れないことに気がついた。肺がないからだろうか。しかし、呼吸は問題なくできるのだ。
「うん、うん。心配しなくていいよ。お前は一人じゃないからね」
 笑いながら、少女は園子を裏返した。視界から人間が消えて、無機質なトイレの壁だけになると、途端に不安が増大する。助けてと叫ぶことすらもうできない。
「じゃあ、いくよ」
 いく? 一体どこに行くというのか。なにをする気なのか。こんな意味不明な目にあって、まだ解放してもらえない。園子の心中を埋めているのは絶望だった。きっと自分はここで死ぬ。都市伝説じみた怪奇に殺されるのだ。

 ベリッ

 異様な音が背で鳴った。
 べりっ、べりべりっ、と音はつづく。マジックテープを剥がすような音だ。次いで、背中が妙に寒くなる。風が入ってきている。入ってくる? どこに。園子はもう裸なのだ。ひやりとした感触。まるで、内臓そのものを撫でられているみたいだ。
「皮の、この内側――ここが好きなんだよね」
 つうっ、と何かが肌に触れた。肌に、というのは正確ではない。その奥、カラダの中、神経に直接触れたような、異様な感覚だった。
(なに、なに……嘘でしょ、うそ、だって、まさか)
 べりべりべり。
 音とともに吹き込む冷気が強くなる。臓腑を、肉を、神経を、ダイレクトに撫でられる感触。少女の指先が優しく愛撫するように、園子の内側を辿っていく。ありえない。そもそもありえないことばかりだったが、いくらなんでもこれはひどすぎる。
(皮を、剥いでる――!)
 あるいは、開いている。中身を全て抜かれた園子の、その皮すら剥ぎ取って、少女は園子の全て――文字通り全てを外界に晒しているのだ。中身がどうなっているのかは園子にもわからない。だが、彼女の指が撫でるのは間違いなく園子自身の内部だった。
(やだ、やだ! こんなの、こんな、たすけて、誰か助けて!)
 悲鳴にも懇願にも応える者はいない。ただ、侵略者が笑い声をあげるだけ。掌は篠山園子を確かめるように一通りカラダの内側を愉しむと、むぎゅ、と心臓を鷲掴みにした。どういうわけか痛くない。強烈な違和感ばかりがある。
(やめて、やめてよぉ……)
 丘にあげられた魚のように口を開閉して、園子は声にならない叫びをあげた。こんな、人を人とも思わない方法で玩弄されるのは耐えられない。園子はとうとう自分で頭を支えることすらできなくなり、コテンと首を折ってしまう。その先にあるのは園子のコンプレックスである大きな胸だ。この状況にあっても形を保つ胸は、園子の頭を優しく支えた。
 園子の頭部は垂直に折れた。どう考えたって即死だ。なのに、死ぬどころか意識さえ明瞭なのだ。殺されるという恐怖がさっきまではあった。だが今は違う。
 今は、死ねないのではないかという恐怖が徐々に首をもたげている。
(やだ、やだ――ふあっ!?)
 園子をあざ笑うように、強烈な感覚が胸部からほとばしった。一瞬なにが起こったのかわからない。園子の頭を支える双乳に異常はない……いや。
 そのカタチが、ぐにゃりと歪んでいた。誰も触れていないのに、柔らかい脂肪の塊が勝手に蠢いている。勝手に? 違う。園子だってもうわかっている。これは、
(裏から揉んでる……! うそでしょ!?)
 園子の内側に手を差し入れた少女は、カラダの中から園子の胸を揉みしだいているのだ。その感覚たるや、車内の痴漢の比ではなかった。守るものが何もない、むき出しの快感を無遠慮に撫でさすり、つかみ、こすり、捏ねて弄ぶ。
(やっ、やぁ……あぁっ、ふぁあ……)
 覚えたての快楽は、あっという間に園子の意識を攫った。全身がカアッと熱くなり、思考がぼやけて浮き上がる。感覚だけはあるのに身動きが全くとれない状況は、感度をいやがおうにも増していく。音にならない悲鳴じみた嬌声が、園子の脳裏でだけ反響する。目の前で刻々と形を変える淫靡な柔乳が、園子の世界の全てになっていく。
(あっ、ふぁ、ふあぁあっ、ん、んんぅ……ッ!)
 皮膚さえ介さない直愛撫は、それほどに強烈だった。自慰にすら怯えがある園子にとってはなおさらだ。先ほど車内で感じた絶頂がいかに優しいものだったかを思い知る。十指が蠢くたびに軽いエクスタシーを繰り返し、園子の厚みのない秘部からはだらだらと愛液がこぼれつづけている。
(あぁあ、ぁっ、ぁぁあああぁあっ!)
 だが、それすらまだ前座にすぎなかったのだと園子は思い知ることになる。幾度目かの絶頂感のあとに、それは唐突にやってきた。
(あ、ふぁ……あっ!?)
 ずるり――と。
 体温が、園子の中に、文字通りの内側に入り込む。撫でるとか、揉むとか、そういう次元ではない。熱い肉の塊が挿入されたのだ。厚みを失っていた右腕が勝手に持ち上がり、肩から肘に向かって肉体らしさを取り戻す。だがそれは、失われたものが返ってきたことを意味しない。
(やだ、やだ……ッ! これ、まさか、これ、)
 そう――それは、他人の肉体だ。
 さんざん園子を弄んだ淫虐の主が、彼女の肉体にもぐりこみはじめたのだ。腕が先端に届き、五指でわにわにと空気を揉むと、次いで腰のあたりにぞわりとした感覚があって、足先が埋められる。右、左、そして左腕。園子をぺらぺらの皮一枚にしてしまった挙句、それを身に着けようとしているのだ。
(うそだ……うそだ、なにこれ、なにこれ、いやだ、や、助けて、助けて!)
 あっという間にカラダ全部が入り込む。園子を着た陵辱者は、唯一残った彼女の頭をガッシリと掴んで、ゆっくりと自分の頭に載せた。
(待って、待って、まっ――)

 ――ずぷうっ

 どういう原理か、園子の頭部はスッポリと少女のソレに被さってしまった。瞬間光がはじける。感覚の全てが振り切れて、意識が明滅する。ただひとつ残った「園子」のすべてを蹂躙する、それは紛れもない快感だった。
(――ぁっ、あ、ぁ――)
 他者に、肉体を内側から征服されるという異様な体験。それは至上の被虐感であり、同時にこの上ない充足感をまとっている。通常であれば決して埋まらない場所。肌を重ねて体温を交わし合うのが限界の距離。人が形を保つ以上は決して越えられない致命的な断絶。それが解消されている。この瞬間、間違いなく園子は満たされていた。
(ぁああ……ぁ、ああ――ふぁ、ぁあ、ぁあああ……ッ)
 意識がわななく。心が震える。存在しない涙をこぼして、園子は静かに絶頂した。
(――これ、こんなの、知らない……)
 脱力した意識が辛うじて世界を捕らえている。この目は誰の目で、この手が誰の手なのか、園子にはもうわからない。ただ、女子トイレの個室にはもはや少女の姿はなかった。残されたのは篠山園子で――失ったのも、やはり篠山園子だった。
「うん」
 『篠山園子』は何度か手を開閉させて笑った。個室の中には二人分の服が散らばっている。しばし考えて、彼女は裸に直接パンツと、ジャケットだけを羽織った。
 ボタンを留めても、ジャケットの胸元から媚肉がはみ出している。ともすればピンクの乳輪すら見えてしまいそうだ。無理やりに押し込んで、略奪者はふふ、とまた笑ってみせた。
「いい皮になったな。どうだい、感じるかい?」
(……あぁ……あなたは、なんなの? 誰なの?)
「ふうん。私か? 知ってもしょうがないだろう、そんなこと」
(……)
 皮となって着られたからか、それともこれも彼女の抱える超常のひとつなのか、園子の考えることはダイレクトに伝わっているようだ。逆はない。園子には、彼女の考えることはまるでわからない。
「まあ、お前の考えているのであっているよ。私は人を着るのが趣味なんだ。それが生きがいで、存在理由さ」
 まるで意味不明な言葉だったが、今となってはそれが真実なのだと思うしかない。もはやただの表皮にすぎない園子ではあったが、その感覚は未だに明瞭だった。これはもう、人知の及ぶ領域ではない。
「だけど、私はただ奪うなんてことはしないさ。奪うからには、与えないといけない。だからちゃんと厳選してるんだ」
(与える……?)
「言っただろう」
 指先がカギを開ける。扉が開く。半ば以上乳を放り出し、下着すらつけない卑猥な姿で、彼女は踏み出した。
「法悦を約束するってさ」
 その言葉に、園子はやっと知った。ここまで全てが前座。園子の身を襲う淫辱は、いよいよここからが本番なのだと。

後編へつづく→