第三金曜日の放課後は『部室』に集まることになっている。
 いつ、どこで、だれが決めたのかはわからないが、ずっと昔からそうと決まっているらしい。遊びにはルールが必要――これは今の部長の言葉だったか。
 『部室』は駅から歩いて十分ほどの住宅街にある。六階建てワンルームマンションの、最上階の角部屋。スーパーはやや遠いがコンビニが目の前にある便利な立地で、俺はいつもこのコンビニで飲み物やらを買っていく。オートロックの入り口を合鍵で開けて、エレベーターにもぐり込む。狭苦しい箱の中で独りになると、俺はかすかに息をついた。別にまだ何もしていないのだからビビる必要はないのだけど、ここに来るたびに妙に緊張する。
 六階のボタンを押すと、かすかな揺れのあとにエレベーターが上昇しはじめる。さして新しくも豪華でもないが、立地は悪くない。借りたらなかなかの値になりそうだが、月々の家賃も、光熱費も、全部部長が払っているというから驚きだ。
 部室――とは言うが、もちろん部活動とは関係ない。俺は帰宅部だし、メンバーのほとんどがそうだ。放課後に群れる駄弁り部屋というのが実情に近い。
 だがそれも、正確ではない。
 チン、という高い音とともにエレベーターが停止する。鈍重に開く扉をくぐって廊下に出ると、まっすぐ目的の部屋に向かう。エレベーターの反対側、非常階段のすぐ隣、他の部屋と少しだけ広く間隔をとった角部屋――何をやってもバレない、そういう場所。
 心臓が高鳴っている。スマートフォンを取り出して連絡アプリを起動する。特に誰からもメッセージは来ていない。つまり、今日も開催しているということだ。
 この活動に予定はない。時間も決まっていない。第三金曜日という慣習に従って、みんな黙って集まるのだ。もう何度も来ているのに、今更のように手が震える。カチカチと鍵と鍵穴がぶつかりあって音を立てる。まるで臆病者の俺を笑っているようだった。
 無理やりブチ込んで嘲弄する鍵穴を黙らせると、俺はドアノブを捻った。ゆっくりと開く。人ひとりがすべりこめる最低限の空間ができると、意味もなく周囲を確認してからそそくさと部屋の中にもぐりこんだ。
「うわっ……」
 とたん、濃密な匂いが鼻を直撃した。
 部屋はバストイレつきのワンルーム。扉を開けてすぐは狭い廊下で、左側にキッチン、右側にはバスルーム。扉を一枚隔てた先に、十畳ほどの部屋がある。今その扉は開ききって、淫惨な光景が丸見えになっていた。
「誰だ!」
「ノギハラです!」
 靴を脱いであがろうとして、あわてて振り向くと扉に鍵をかける。危ない。いや、別に開いていたからってどうということもないのだけど。
 廊下を一歩進むと、入った瞬間に感じた匂いが、むわりとまとわりついた。男と、女と、獣のにおい。開いた扉からは筋骨隆々とした裸が見える。阿智川先輩だ。いつもはもっと遅い時間に来るのに、今日はずいぶんと張り切っている。いや、そうか。先月はいなかったんだっけ。
「こんちわ」
 扉をくぐる。全身汗だくの阿智川先輩が、半分ほどしか体積のなさそうな少女を組み敷いていた。少女の方も先輩と同じく全裸で、先輩の腰の動きに合わせてヒイヒイと高い声で悲鳴をあげていた。どう見ても犯罪の光景だ。
「おう、今、おわるからっ……!」
「あっ、ああぁあっ、あち、あちかわっ、もう……っ、あ、あああっ!」
 高い声で喘ぐ少女を見て、俺は思わず動きを止めた。
 ――藤埜さん。
 間違いない、藤埜さんだ。信じられない、知っている顔が来るなんて。ここで会うのは大抵は初対面の、見ず知らずの女なのに。
 お土産に持ってきたコンビニの袋を隅において、俺は部屋の脇に退いた。ついでに、少女の顔が見えるような位置に移動する。うん、やっぱり間違いない。まさか藤埜さんが選ばれるなんて。偶然だろうか。
 藤埜さんは中学時代に所属していた吹奏楽部の先輩だ。優しくて柔和で、そのくせ妙にさばさばしたところがあって、先輩と呼ばれるのを嫌がった。高校は別になったが、こっそり演奏会を覗きに行ったりもした。ありていに言って、俺の憧れのひとだった。
 その憧れのひとが、汗くさいムキムキの先輩に犯されている。このあとには俺もあの穴に突っ込んで、そして更に数人で輪姦するのだ。なんてことだ。
「たっまんね……」
 股間にめぐる血液を錯覚する。いますぐにでもぶちまけちまいそうだ。
 どうやら先輩たちの他には俺だけのようだ。運が良い――とはいうものの、先着が阿智川先輩だったのは痛恨としか言えない。
 この筋肉達磨は精力も絶倫なのだ。
 藤埜さんの顔は快楽に――というよりは、あまりの激しさに歪んでいた。大きい瞳からぽろぽろ涙がこぼれて、開きっぱなしの口元からは涎が飛び散っている。それでも美人に見えるのだから相当だ。阿智川先輩が大きすぎるのだとは思うが、それにしても小さい。年上だと知っていても、思わず年齢が心配になるミニマムサイズだ。抱え込むような正常位で腰をふりたくる筋肉バカのせいでよくわからないが、体のボリュームも少なそうだ。
 処女だったんだろうなあ。
「いいぞっ、三発目だ! いくぞ!」
「うっ、ううっ、あぁあっ!」
 先輩の宣言にも弄ばれる少女は悲鳴をあげるばかりだ。ていうか三発目って。どれだけ早く来たんだこの人。がっつくにもほどがあるだろうに。
 まあ、俺も一番手のつもりで来ているわけで、他人のことは言えないが。
「うっ、うぉおおおっ……」
 しているうちに、先輩が低く震えるような声をあげて動きを止めた。あっ……こいつ、中出ししやがったのか? ゴムをつけるような殊勝な男じゃない。それも三発目。最悪かよ。
「あ、ぁ、あぁあー……」
 先輩の筋肉にしがみつくようにしていた藤埜さんも、全身を弛緩させてへたりこんだ。のそのそと巨体を引きはがして、先輩が「がはぁ」と鳴き声だかため息だかわからない音を出す。
「よぉ、ノギ。早かったな」
「先輩こそ、やる気ですね」
 おっ。よくよく見れば、しおれた(それでも冗談みたいにでかい)先輩のイチモツに、似合わない半透明のゴムがへばりついている。コンドームつけてる。これは珍しい。
「ちゃんと綺麗に使ってやったぞ。さすがに一番手だからな」
「ありがとうございます、マジで」
「んじゃ、俺はシャワー浴びてくるから、ゆっくりやれよ」
 のしのしとしか表現しようのない動作で部屋を出た先輩は、そのままバスルームへと入り込んだ。二人きりだ。俺は早速倒れたままの少女に近寄る。
 よほど激しいセックスだったのか、全身汗だくの裸体は息も絶え絶えだ。四肢が震えているし、先輩の巨砲を突き込まれていた秘部は今も痙攣している。
 それでも、淡い茂みのむこうに襞を覗かせる藤埜さんの秘洞は、男を拒むために口を閉ざそうとしているように見えた。
「大丈夫すか」
「いや、いやぁー……阿智川が一番なのはきっつい……まだほぐれてないっつーの……」
 言いながら、藤埜さんはふらふらと体を起こした。
「や、ノギハラくん。今日のカラダはどうだい?」
「いいですね」
 思わず即答してしまった。
 少しだけ色を抜いた明るい髪は肩程で綺麗にそろえられ、露わになった白い首筋をなまめかしく汗が伝っている。肌は白く、日焼けらしき跡はほとんどない。スラリとした肢体はそれでも女性的な起伏を保っていて、乳房こそ心許ないが、みぞおちから臍にかけての流麗なラインや腰元のくびれからつながる臀部の丸みはもはや芸術的でさえある。向かいあって見ると、思ったよりは小さくない。やはり比較対象の筋肉先輩がでかすぎなのだ。百六十ちょいってところだろうか。すっかり乱れきったあとの、ほのかに淫靡さが香る笑顔はあまりにもいやらしく、童顔とのギャップでとろけそうだ。紅もささないのに主張が激しいふっくらとした唇がかすかに開いて、はぁ、と淫気をひとかたまりにしたような吐息を漏らした。
「見過ぎ」
 そして、いたずらっぽく笑う。
「あ、あっ……すいません、つい」
「ノギハラくんっていっつもそうだよね。このカラダ、知ってる子?」
 言われて、思わず言葉に詰まってしまった。あれ、マジ? と驚いた顔をする少女に、俺はしぶしぶ頷いた。
「中学時代の先輩です。まあ、大して仲が良かったわけでもないですけど」
 これは本当だ。俺の一方的な憧れだった。
「そうなんだ、参ったな。どうする?」
「どうするって?」
「するのかってこと」
「もちろん、しますよ」
 当たり前じゃないか。
「知ってる子なのに? やりづらくない?」
「むしろ興奮します」
「ははは」
 笑って、少女は「うン」とかわいらしい声をあげて伸びをした。なだらかな胸で場違いに主張する乳首が、誘惑するように俺を見つめる。
「じゃあ、しよっか」
「はい」
 もう我慢なんてできるもんか。俺は言うが早いかベルトを外して、一気にジーンズごと下着を脱ぎ捨てた。
 恥ずかしながら、筋肉先輩の野性的なセックスを見て、すっかり勃起している。
「見知った、しかもさっきまで他人とセックスしてた女の子に、見境ないねえ」
「なに言ってるんですか」
 すべてその通りなのだが、この人にだけは言われたくない。そもそもそういう集まりだ。それに、確かに俺は彼女のカラダとは顔見知りだが――彼女の中身ば、今はまったくの別人ではないか。
「ヨスガさん、あんたもわかるでしょ」
「まあ、同じ男だからね」
 彼女のカラダにもぐりこみ、それを意のままに操る『彼』は、俺の言葉にそう笑った。それ以上余計な言葉を聞く前に、俺は憧れの肩に手をかけて押し倒した。もう慣れたし、いざ裸を前にしてしまえばほとんど関係ないが、それでも彼女の『中身』が男だということは忘れていたい。
 そう、彼は――ヨスガさんは男だ。正真正銘の男で、おそらく藤埜さんとは縁もゆかりもない。彼は意識だけを他人に乗り移らせて、その肉体を好きに操ることができるのだ。
 少女のカラダを乗っ取って――『憑依』とヨスガさんは表現する――メンバーで名前も知らないその子を貪りつくす、これはそういう、人を人とも思わない陵辱サークルなのだ。
 憑依倶楽部。
 第三金曜日の慣習だけを頼りに開催されるこの集まりを、俺たちはそう呼んでいる。
「キスはいやだよ」
 鼻息荒く覆いかぶさった俺に、藤埜ヨスガさんはそう言った。セックスは平気でも、キスとフェラはいやだというのがヨスガさんの言い分だ。フェラのほうはまだ我慢できるらしいが、キスだけは絶対にする気がしないという。気持ちはわかる。そう聞いてしまうと、こっちとしても口でしてもらう気にはなれない。
「しませんよ。女の部分だけでいいです」
「結構ヒドいこというよね、きみは」
 そりゃあモノホンの女相手ならそうだろうが。
 答えずに、俺は両手を胸に這わせた。さんざん筋肉にいじられた後だ、まだ敏感になっているらしく、掌で軽く触れただけで華奢な体がピクリと震える。
「ンふ……」
 鼻にかかったような声だ。そっと手に力をこめると、まるで膨らみ足りない乳房がくにゃりと手の中で形を変えた。
「ちいさいほど感度がいいって本当ですか?」
「人による」
「揉まれる方の話? 揉む方の話?」
「両方だな」
 そんなもんか。
 小さいながらもほどよいやわらかさと弾力のある胸はなかなか触りがいがあるが、しかし痛いほど張り詰めた肉竿がもう限界だ。肌をなぞるように掌を下へ下へと這わせてそのまま細い腰に手をかける。三回も筋肉先輩に犯されているのだ、前戯はいるまい。
「もういいですか」
「えっ、もう? がっつきすぎだろ」
「がまんできないです」
 返事を聞く気はない。もどかしく位置を合わせようとしたところで「ゴムゴム!」と呆れるように藤埜さんが言った。
「阿智川がつけてんだぞ、お前が生で出したら殺されるよ」
「うっす……」
 待っててやるから、と四度目の陵辱を目の前にして、少女は笑いながら体勢を変えた。具体的には腰を引いて両足を立て、膝と一緒に指でアソコもくっぱりと開く。いわゆるM字開脚だ。
「うわ……」
 中学時代、藤埜さんは憧れだった。俺だけじゃなく、吹奏楽部の数少ない男子全員の憧れだったのだ。裸体に汗を光らせて、三発分の精液のにおいが充満する部屋で、にやにや笑いながら股を開いてコンドームの装着を待つようなひとじゃ絶対になかった。たぶんそれは、今もそうだ。
 彼女が穢されている――彼女を穢している。
 きらめく思い出に馬糞をなすりつけて地面に叩きつけるような、強烈な罪悪感と喪失感、そしてそれを遥かに上回る背徳感が、ぐるぐると股間をめぐっている。
「いれっ……いれます、いれます!」
「おちつけって」
 震える手でコンドームをつけて(うまくつけられたのかわからない)、俺は今度こそ藤埜さんのカラダに飛びついた。息が荒くなっている。こんなに興奮したのは生まれてはじめてだ。
「いいの? 本当にいいの? ――憧れだったんでしょ?」
 ふわり、と中学時代と変わらない優しい声が耳朶をかすめた。憧れだった。大切な宝物だった。くそみたいな俺の人生にきらきらと輝く唯一のものだったかもしれない。きっと藤埜さんは、見知らぬ女を無理やり犯す最悪の集団にまで落っこちた俺の、残されたひとつきりの救いだったのだ。
「変えてもいいよ?」
 細い手が背に回る。耳を食むように囁きが耳孔を撫でる。官能を孕む声が鼓膜を震わせ、三半規管を回って脳を侵す。
 彼女の知らぬ間に、彼女の貞操を、彼女自身のカラダに開かせて――下種だ。犬畜生にも劣る。今なら彼女を助けられる。一線を越える前に。ほかの誰かが来る前に。
「たすけて、ノギハラくん」
 きっと今。今このひとを犯したら、俺は――

 ――ずぐっ――

 ――俺は、これまでにないほどの快感を得られるだろう。
「いっ……ぅぁああっ」
 一息に秘洞を貫くと、藤埜さんは背をのけ反らせて小さく悲鳴をあげた。あれほど乱暴に犯されていたのが嘘のように、彼女の膣は狭く、静かで、まるで初心なままだった。
「藤埜さん――」
 一番奥まで差し込んだまま、俺は彼女の細いカラダを思い切り抱きしめた。華奢で、あたたかい。じわりと体温がつながり、きゅうっと狭い膣がさらにしめつけられた。
「この、外道ぉ……っ」
 怨みごとのような言葉は、しかし明らかな喜悦に染まっていた。返答のかわりにゆっくりと腰を引いて、勢いよくつき込む。
「ひぅン!」
 悲鳴とも嬌声ともつかない声は、股間によく響いた。覚えたての猿のように無心で腰を振りたくると、そのたびに藤埜さんのカラダがリズミカルに応える。まるで楽器の演奏のようだ。
「藤埜さんっ、藤埜さん――」
 気が付けば名前を連呼していた。藤埜さん。これは藤埜さんであって藤埜さんじゃない。阿智川先輩にぐちゃぐちゃに犯され、それ以前にヨスガさんによって穢されている。姿形はそのものでも、中身は淫乱を極めた醜悪な人間だ。
 わかっている――それでも、このカラダはやはり藤埜さんのものなのだ。
「藤埜さん――」
「あんまっ、名前……っ、よぶな」
 突かれながらの抗議に、俺は勢いを増すことで応えた。一突きごとにぐちゅぐちゅと淫売な音が藤埜さんのカラダから響き、優しい笑顔ばかり浮かべていた顔がどろどろにとろけて舌をほうりだす。
「あっ、ンぁっ、ふぁああっ」
 豚のように喘ぎながら涎をこぼし、快楽のあまり涙まで浮かべて自ら腰を浮かせている。藤埜さん。呼びかけごとに膣が締まる。自分が他人の肉体を今まさに穢していることを自覚して、このひとは悦んでいるのだ。
「あっ、ふあぁっ、ンっ、ふッ、ぅああぁあっ」
 狭い、しかし悦蜜の充溢した膣にもぐりこみ、淫靡に悶える内壁をこすりあげながら最奥を突き刺す。そのたびに藤埜さんの腰が跳ね上がり、おなかの下から快楽が伝播するように全身を震わせる。触れあう俺と藤埜さんの粘膜が体温と快楽を交換している。肉体がどろどろに溶けて、神経がまじりあって、ビカビカと光る虹色の信号が脳髄を飛び交っている。
「藤埜さん――」
 交わす言葉だけが、互いが別の人間だと証明している。だがそれも、獣じみた咆哮になってしまえば曖昧だ。
「ちが――う」
 藤埜さんはそれを拒むように、荒い息に交えてそう言った。
「ちがっ、ちがう、ふじのじゃない――」
 懇願するような瞳が俺を見ていた。涙と涎でぐしゃぐしゃになった顔も、互いからあふれ出した液蜜でどろどろになった秘部も、重なり合うカラダのすべてが、叫んでいる。
 俺は無言のまま思い切り腰を突き出した。互いをめぐる快楽の速度が急激に上昇し、溶解した神経を疾走して灼熱する。カラダを失えば、俺は一体誰と交わっていることになるのだろう。
「あ、ぁあああっ、ぁああぁぁぁあああぁあっ!」
 先に到達したのは藤埜さんだった。抱き着くようにカラダを縮こまらせて、全身をビクビクと痙攣させる。ふらふらと俺を見上げた顔は、もはや意思を持つ人間にすら見えなかった。「ノギハラぁ……」と、いつか聞いた声がその口元からこぼれた。
 ぞわりと全身の血液が一点に収束する。あっと思う間もなく弾けた。聞こえるはずのない放出音を幻聴する。奔走していた快楽が解き放たれると、癒着していたふたりの神経もパラパラと剥離し、瞬く間に俺と藤埜さんは個別の人間となった。
 藤埜さんのカラダが喘いでいる。
 俺が全身を弛緩させると、藤埜さんもぐったりとカラダを横たえた。
「あのな……藤埜藤埜って、あんまり名前で呼ぶなよ」
 別人だぞ、とヨスガさんは息を整えながらそう言った。知っている。わかっている。このカラダは藤埜さんのもので、その精神はヨスガさんのものなのだ。
「――だから」
 だからこそ、
「だから、滾るんじゃないんですか」
 その言葉に、一瞬だけ呆けたようにしてから、ヨスガさんはうっすらと笑った。邪悪な笑みだ。こんな時、ヨスガさんはなにかろくでもないことを考えている。カラダがいくら変わっても、この笑い方はヨスガさん以外にはきっとできない。
「いい、いいぜ。前から目星はつけてたんだ――次はお前だ」
「なにがですか?」
 もう一発やらせてもらえるのだろうか。阿智川先輩もまだ出てこないし(シャワーでなくて湯を張ってつかっているのかもしれない)、俺もまだまだやりたりない。
「憑依倶楽部の話さ――次はお前が、だれかのカラダに這入る番だ」
 そういって、ヨスガさんは笑みを深くした。キシッ、と顔面にヒビが入るような不気味で凶悪な笑顔だった。

■2
 ヨスガさんが何者なのか、俺は知らない――たぶん誰も知らないだろう。倶楽部のメンバーは多くて五人程度らしく、誰かを勝手に連れてきたりはできない。してはいけないルールだ。そのかわり、来なくなるのは自由。誰かが来なくなると、自然と誰かがメンバーに入る。勧誘は禁止だから人が増えるはずはないのだが、例外がある。もちろん、ヨスガさん自身が人を選んで連れてくるのだ。俺もそうだった。
 ヨスガさんが一体何者で、憑依なんて不可思議で危うい力が一体どこから湧いてきたのか――その答えは。
「……よし、行くか」
 駅前のカフェでぼんやりと通りを眺めていた俺は、ひとりの女子高生を追ってカフェを出た。名前も知らないが、見目が整っていて歩き方が美しい。装飾品をつけない制服姿。着飾っていないのもいい。
 人混みの中を足早に進むと、目的の背中が見えてくる。不審に思われない程度に、そっとその首筋に指を触れさせた。
 ――マーキング。
 俺はそのまま人の流れに沿って彼女から離れた。うまくいっただろうか。早く確認したいが、ここで試すわけにもいかない。
 自宅に帰るのももどかしく、近場のビジネスホテルに部屋をとると俺はすぐに全裸になってベッドに横たわった。なんでも裸のほうがうまくいくらしい。
 目を閉じる。先の女子高生を思い浮かべる。息を吸う。吐く。雑多な思考が瞼の裏を飛び交っている。マーキング。憑依。ヨスガさん。代替わり。後継。そう……俺が、次のヨスガになるのだ。
 その瞬間、意識がはじけた。

 ――苦しい。
 息が荒い。めまいがする。いや、何も見えない。膝と手の下に硬い感触。倒れているのか? 自分のカラダの状態がわからない。耳元で物凄い音が鳴っている。肌をビリビリと何かが這いずっている。頭が痛い。はあっと吐いた息の匂いが、ぞわりと鼻を突き抜ける。呑み込んだ唾液が妙に苦い。大丈夫ですか? うるさい誰だ。顔をあげる。目はずっと開いていたが、その瞬間に光が視界に飛びこんできた。くそ。まぶしい。うつむいて、深呼吸。大丈夫ですか? 顔をあげる。今度は、きちんと世界を見ることができた。
「あの、大丈夫ですか?」
 知らない男がこっちを見ている。その背後を、知らない連中が迷惑そうな、あるいは好奇丸出しの視線を投げながら通り過ぎていく。息を吐く。ツバを飲む。少しずつ、呼吸が落ち着いていく。俺は立ち上がった。
 見下ろすと、知らない女子制服を着た知らないカラダが目に入った。すうっと風が股下をすり抜ける。ほんのり膨らんだ胸元に手を寄せると、制服ごしにくにゃりとやわらかい感触が掌で蠢いた。
「あの……」
 唯一俺の――この女子高生のことを気にかけてくれたらしい親切な優男に、俺はほほ笑んだ。
「ありがとう。大丈夫です」
 少し声がうわずったが、ちゃんと喋れた。静かに響く、優しい声だ。一歩前に出る。男は困惑したように後ずさった。
「優しいんですね」
「え、い、いや……」
 そんなことないですよ、と照れる男に笑いだしそうになるのをこらえながら、俺は大きく息を吸った。新鮮な空気が肺の中を満たして、全身に酸素が充填されていくのを感じる。胸の奥で心臓が脈うち、末端にまで血液が運ばれていく。ああ。
 ――成功だ。
 このカラダはもう、俺のものなんだ。
「あの、ほんとうに大丈夫ですか、病院とか……」
「大丈夫です。これから、行くところがあるので」
 そう言って、俺は人混みにまぎれるようにその場を立ち去った。そう、これから行くところがある。今日はもう、コンビニでお土産を買う必要もないだろう。経験的に知っている。みんな、終わってしまえば優しいものだ。あの場の主導権は常に『ヨスガさん』にあるのだ。
 さあ急ごう――そう、今日は第三金曜日。
 第三金曜日の放課後は――『部室』に集まることになっている。

おわり